このブログでは主に空の観察日記を綴っています。
去年9月までの記事はアメブロ(→流麗走舞 × Coconut Party
にて書いておりますので興味のある方はご参照ください。


Googleサービスの解除とそれに伴い思ったこと

2013.02.20

今日、タイトル通りGoogleアカウントを削除しました。
足を洗ったと言いますか……。

私自身、PC・モバイル(iPhone4S)共にGoogle Chromeを愛用していたし、Mapサービスも多用していたので、かなりお世話になっていました。

今回Googleから足を洗おうと思ったのは、とても些細なきっかけからでした。

今年に入りPCの内蔵HDDの調子が悪くなった事があったのですが、その際PCをメーカー修理に出し、それが戻ってきました。

戻ってきてから、バックアップやセキュリティやら色々と設定などしていたのですが、入れたばかりのChromeがやや重くなり、アンインストール→再インストールをしました。
その際に、本家(英語サイト)の方のサイトからダウンロードをしたため、ブラウザが英語表示になってしまいました、当然ですけどね。

ま、そのままでも良いと思ったのですが、何となくしっくりこなくて、設定で日本語にしたのですが、シークレットモードの方の表記が英語のままで、どうしたものかとググってました。

そうしたら、たまたまGoogleの事を書いていたサイトに辿り着きまして。。。

オカルティックな内容のサイトだったのですが;^_^A、それを読みながら(鵜呑みにしている訳ではない)何となしに思うところがありーー。

決定打は、Chromeのマーク(ドーナツを3つに割ったアレです)が「666」をシンボライズしたものだという記述でした。

重ねて言いますが、別にそれを鵜呑みにした訳ではなく、私自身学生時代に『ムー』などのオカルト雑誌が好きで良く読んでいまして、その頃に読んだ記憶が蘇ってきました。

若い方はご存じないかもしれませんが、20世紀末に『ノストラダムスの大予言』というのが流行っていて(「1999年7の月に恐怖の大王が降ってくる・・・」というアレです)、その同じ予言の一説に「マルスは幸福の名のもとに支配するだろう」という文言があるのです。
それがずーっとひっかかり・・・

その辺で自分の現状と周囲の環境を見直してみたわけです。←特にGoogleサービス

<ちなみにきっかけとなったシークレットモードの日本語化は難なく上手くいきました>

PCが壊れて復帰した時に、Chromeでログインして、たちどころに復帰前の状態に戻ったことに感動しました。
・・・基本、スマホや他の媒体と同期を行えるブラウザであれば復旧は簡単なんですけどね。

それにしても・・・です。
今はスマホが普及して、スマホがあればほとんど何でもできる便利な世の中となりました。
私もその利便性にずっぽりと埋まっていた、そのことに気づきました。

Googleサービス、確かにとても便利です。

ユーザーの興味やネットで調べる事柄をリサーチし、ユーザーひとりひとりに合ったサービスを提供する。───

聞こえは良いですが、裏を返せば逐一(でもないかもしれないが)相手(Google)に自分の情報が流れているわけです。
Gmailや他のサービスを受けていればさらなる情報が流れるわけで。。。
よく考えたら恐ろしいことです。
私も、Chromeに子供の名前でお気に入りをブックマークをしたりしてたりしたので、子供の名前も把握されたかもしれません。
またGoogleのブログサービス「Blogger」も使っていましたので、興味や動向もチェックされているかもしれない。
下手すると、ほかの誰よりも自分のことを知っているかもしれない。。。

便利なんだけど、その裏を返すと上記のようなことがあり得るわけです。
Googleに限らず、名前や住所などの情報を提供して受けるサービスって結構あります。
特にスマホ時代になってからはそれが増えたと思います。

Googleに限って言えば、幸い私の場合はGmailはあまり利用しておらず、またスマホそのものもiPhoneなのですっぱりさっぱりGoogleと縁を切れましたが、仮にAndroidだったらこうはいかなかったでしょう。
<重ねて言いますが>別にGoogleを悪者にしているわけではなく、あくまで自分の情報を誰かにまるっと渡すのがイヤになった、ただそれだけです。

スマホは、人によりますが、生活になくてはならないものとなってきました。
ここ数年急速に普及し、自分の情報と引き換えに受けるサービスも比例して増えてきています。
とても便利ですが、ふと気づいたら懐深く入りすぎているのでは・・・と思ったのです、時と場合によっては諸刃の剣にもなりうるものだと。

ここで上に引き合いに出したノストラダムスの予言の一文、「(マルスは)幸福の名のもとに支配するだろう」が関わってきます。
支配するのは力じゃなくても良いわけです。
たとえば上記に挙げたスマホの存在。
自分の情報を相手に渡し、その代償として利便性を受け取る。
場合によっては自分のすべてを握られている──それもひとつの「支配」では、と捉えました。
「幸福」という意味はおそらくひとりひとり個々に捉え方が違うとは思いますが、こうした便利さも「幸福」といえば「幸福」。。。

自分の身は自分で守るのが基本中の基本です。
私の考えは極端にしても、「自分の情報を誰かに提供する」ということについて考える良い機会となりました。
また、いろいろな気付きがあり、とても有益だったと思います。

Googleアカウントは削除しましたが、やはりMapやEarthは便利ですし、これは今後も使います。。。少なくとも現状でこれらに代わるものが存在しないので。。。
また、PCのブラウザはOpera中心でいくことにしました。
モバイル(iPhone)もOperaに合わせるつもりなので2月に公開するという「Opera Ice」にとても期待しています☆